MomoYoshida
吉田 桃 -よしだ もも
2001 京都市誕生
2021 多摩美術大学入学
2021 多摩美術大学北棟『memo展』
2023 Path Arts『Home』三人展
2024 KYOTO GROWLY gallery跡地 個展
2024 第9回山本鼎版画大賞展入選
2024 京セラ美術館『SYOサロン展』出展
2024 KYOTO GROWLY gallery跡地『榴木の跡』
2024 第49回全国大学版画展 優秀賞
2025 多摩美術大学卒業制作展
2025 DDD ART『もう一つの世界を歩く』グループ展
2025 東京五美術大学連合卒業制作展
2025 東京藝術大学院先端芸術表現科入学
2025 FEI ART MUSEUM YOKOHAMA『NICE ZINE』グループ展
2025 FEI ART MUSEUM YOKOHAMA『RE: PRINT』グループ展
2025 京都市美術館別館『第14回SYOサロン展』京都市長賞受賞
2025 ToRide展 東京藝術大学取手校地
私が住んでいた部屋 / The room where I lived
私はかつて秋元康プロデュースのバンドアイドルに所属していた。握手券付きCDを求めて何十枚も購入するファンの姿を目にし、音楽が「聴く」以外の価値を帯びて流通していく現実に直面した。本作では、当時CDを購入してくれた人々に連絡を取り、再び154枚のCDを集めた。その記録面には収録曲だけでなく、私がアイドルとして過ごした部屋の情景が刻まれている。あの頃の私の日常は、まさにこれらのCDに支えられていたのだ。
I once belonged to a band idol group produced by Yasushi Akimoto. I watched fans buy dozens of CDs just for the handshake tickets, realizing how music had gained value beyond being heard. For this work, I contacted those former fans and collected 154 CDs once purchased for me. On their reflective surfaces are not only the recorded songs but also images of the room where I lived during my idol days. My daily life back then was, in many ways, supported and sustained by those very CDs.
『会話のキャッチボール』
折本形式で作られた二人の少年の会話で進むブックアート
一ページに一コマの漫画
『アルミ缶の上にあるみかん』
400ページ越えからなる、駄洒落本。
一枚につきひとつ駄洒落が載っています。
アルミ缶の上にあるミカン
カクテルに隠れてる
これ何だ?コリアンダー!
東京タワーになりたい
私はずっと自分の性別に対して違和感を感じていた。小さいな時から母には女の子らしくいなさい。と厳しくしつけられ、上品に、おしとやかに振舞うことを強要されていた。明確な違和感を持ったのは小学五年生の頃だ。プールの時間にみんなと一緒に着替えるのがすごく嫌だった。それにちょっとずつ自分の体が変化していくことにも嫌悪感を覚えていた。体に肉がついて、胸が膨らみ始め、「女」の体へと変化していく自分の身体を憎んでいた。
私はこの行き場のない感情や形容し難い思いをどうすればいいのかわからなかった。それに私の住む町は閉鎖的な町だ。小さな世界でしか物事を考えられない人間がうじゃうじゃといて、この町からもこの身体からも早くでて行きたかった。そして自分じゃない誰かになりたかった。
私の生まれた町は浜大津という滋賀県にある小さな都市だ。琵琶湖がすぐそこにあって京都まで電車で30分くらい。アーカスとかいうちょっとでかいゲームセンターと、パルコっていうショッピングセンターがある。逆に言えばそこしかない。大きい建物は琵琶湖ホテルか大津プリンスっていう京都人が避暑に来るホテルしかないし、この町にはほんとうに何にもない。私はMOROHAの上京タワー聞きながら、フードコートでマクドナルドずっとこの町で歳を取るの?のとこ、いっつも泣いちゃいそうになっていた。
「絶対嫌だ。」そう決めた高校一年の夏、私は夏休みにちっちゃい頃から貯めていたお年玉の貯金の1/4程度をはたいて東京の街にやってきた。東京にはきっといろんな人がいるし、私のような悩みを抱えてる人にも会えるかも知れないと思った。そして、想像以上に「東京」っていう街はアツかった。
私はまず東京に来たからには、東京タワー見に行きたいなと思ってとりあえず赤羽橋駅にやってきた。駅を出た瞬間、デカくて赤いソレは目に飛び込んできた。その時私はついに気付いてしまったんだ。これだ!私はずっと東京タワーになりたかったんだ、と。
私は今まで感じていた性別や自分自身の身体に対する違和感や形容し難い感情を自分自身の中で完全に理解した。私は今までずっと東京タワーになりたかったんだと。
そこからの私は、すぐさまGoogle先生にて『東京タワーなり方』で調べた。そんな簡単に東京タワーになる方法が見つかるわけもなく、エッフェル塔と結婚した女性や、初音ミクと結婚した人、自分自身と結婚した人などの「変なもの(人)と結婚するシリーズのNEVERまとめを読んだりしていた。そしてNEVERまとめを最下部分までスクロールした時『京都異容外科』なるサイトのリンクを踏んでしまった。完全にヤバイワンクリック詐欺か変なウェブサイトに飛んでしまったと思ったが、その京都異容外科のホームページにはかなり興味深い文言が書かれていたのだ。
ーーーどなたでもお望みの身体に。
ヤバイホームページすぎると感じたが、恐怖よりも先に連絡したいという気持ちが勝っていた。
075ー7○2ー44○4どうやら本当に京都にあるらしい電話番号だ。(京都の市外局番は075から始まる。)私は、とりあえず頭に184の番号を押してから電話を非通知でかけることにした。
「お電話ありがとうございます。こちら京都異容外科、橋下でございます。ご用件は何でしょうか?」
物腰柔らかそうな女性の声がしてひとまず安心した。
私は、恐る恐る声を出した。「あの…私、なりたい姿があって…。東京タワーになりたいんです…!」
勇気を振り絞って、東京タワーになりたいということを告げると、電話越しの女性は淡々と、
「….東京タワーですね。はい、かしこまりました。では一度診察にお越しください。えー、御来院までにあなたの風貌を東京タワーに変える手術の見積もりを出しますので、はい。お越しいただける日時と時間お願いします。」
私は本当に東京タワーになれるのか?と疑いの感情を隠せずにいたが、とりあえず来院予定日を決め、電話を切った。
そして当日。私の最寄り駅から電車とバスを乗り継いで50分程かけて京都異容外科のある京都市左京区百万遍という場所にやってきた。京都大学の大学病院がある道から一本それたところにある京都異容外科という病院は、パッと見た感じはフツーそうな見た目だった。(京大病院の近くに建てて良い病院ではないだろ。)しかし、ドアを開けて入るや否や私の目に飛び込んできたのは虎だった。
「いらっしゃいませ、ご予約されていた東京タワー様ですね。」
虎がニコニコと(笑っているのかは正直定かではない。)話しかけてきた。虎の胸のネームプレートには橋下と書かれていた。私は、虎が人語を話していることよりも私のことを人間の名前で呼ばずに、「東京タワー様」と呼んでくれたことが既に嬉しくて、もう目の前の奇妙な様子のことはどうでも良くなっていた。
そして、診察室に呼ばれ院長から説明を受けた。院長先生は、手がハサミでシザーハンズに出てくるジョニーデップみたいな風貌をしていた。
「自分も生まれた時からそういう違和感を感じてたんや。僕もねえ、ずう〜と感じてて、10代の時にシザーハンズを見て、コレやぁ!ってなったんよ。ほんままさに今の自分みたいにねえ。…うんうん。東京タワーやりましょか!僕もあれほどでっかいんは手術したことないんやけどねえ、絶対願いを叶えてあげたい。今まで辛かったやろ、よし頑張ろう!」
関西弁のシザーハンズは今まで出会ったことないくらい親身になってくれた。手術費は貯金していたお年玉は全部使い切ってそれでも全然足りないくらいだったけど、三十回払いにしてもらった。私が東京タワーになってから稼いだらいいし。
そして、どうにかして私は手術を終えた。
麻酔が覚めた瞬間、自分の体が光っているのがわかった。私はついに東京タワーになっているみたいだった。下見ると増上寺が見えた。
そして少し先にはレインボーブリッジと海が見えた。遠くで船が泳いでいるのも見えた。そして私の隣には東京タワーがあった。
私は世界で2つ目の東京タワーになれたらしい。隣の東京タワーに話しかけてみた。
「あなたにずっとなりたかった。あなたの隣であなたになれて嬉しいわ。」
東京タワーは赤く光っていた。彼女も元々は人間だったのかも知れないと思った。
じんわりと暖かい気持ちが身体中を駆け巡るのを感じた。しばらくの間、関西弁のシザーハンズが私の首元で東京タワーとしての生き方マニュアルを音読していたが、私にはもう何も聞こえなくなっていた。ただ風を感じた。風は故郷の琵琶湖のにおいがした。
東京の夜の街に私は溶けていった。そしてこれからも。