鳩の友人
くるっぽーと奴が鳴いた。
実に奇妙奇天烈な鳴き声である。奴は、俺の家に来て数時間、いや数日なのかもしれないが、とりあえず、そんな調子で鳴いてやがる。
奴とは、羽賀遼太郎。俺のドス黒い糸で結ばれた唯一の友である。
彼との出会いは、六年前である。関西から上京したての俺が通い始めた予備校にて同じクラスになり合わせたのが初対面であった。その当時の俺は、世の中のありとあらゆるものを憎み、興味があるのはフランス映画のみだった。グザヴィエドランに心酔し、とりあえず日本の大衆映画を批判し2ちゃんでレスバする生活を送っていた。
そして奴、羽賀はそんな俺にフランス映画以外の映画を見せてくるような男だった。奴は調布という多摩川沿いの町で生まれ育った。俺の下宿先がその調布の隣駅、布田(かなり調布に近い)であったゆえ、俺たちは予備校帰りに俺の住む小さなワンルームのアパートにて共に映画(ごくたまにアニメやドラマ)を見る仲になっていった。
「お前、横道世之介見たことないのは、人生損しすぎだわ。」
「俺は日本の大衆映画は趣味やないから見いひんねん。」
「それまじで食わず嫌いだからみたほうがいいって。」
…
そう、こんな会話をしていたのも、夢のまた夢かと思う。なにせ、奴は『くるっぽー』としか話せなくなってしまったんだからな…
なぜこんなことになってしまったか、順番に整理する必要があるな。
まず、俺たちは予備校で六年前に出会ったと言ったが、その二年後に奴は大学に合格することになる。そして俺はというと、なんとサザエさん邸の隣に住む伊佐坂先生の愚息である甚六よろしく六浪もすることになっている。(甚六さんが果たして何浪なのかはわかっていない。俺と羽賀は、甚六は六と名に入っているため勝手に六浪だと決めつけている。)俺たちの仲は、奴が大学に合格したにも関わらず、意外にも続いていた。羽賀曰く、同じ大学の奴らが興味あるのは青年海外協力隊やユニセフなど”意識高い系”であるため相容れないそうだ。そして、俺は予備校すらやめ、親には自宅の方が集中できるから宅浪すると銘打って、勉学に精を出すどころか、映画やアニメなどサブカルチャーにどっぷりの数年を過ごしたせいか、未だに大学に合格できず親の仕送りを食い潰す高等遊民ならぬ、下等遊民として悠々自適な生活を送っていたのである。そして奴は、週に1、2度ほどそんな俺のうちに来て最近の映画や読んだ本の話をしたり、共に映画を見たりしていた。
しかし奴は意外にも真面目で、大学の授業を休んだりしていないらしく、順調に進級し、俺が未だ大学ゼロ年生なのに対し、もうすでに最終学年である大学四年へとなっていた。四年にもなるとやはり就活やら卒論やら何か忙しいことがあるのか、奴は俺のうちに遊びに来る頻度を落としていた。かと言って、四六時中連絡を取り合うような仲でもないから、こちらからLINEを一報入れるなどはしていなかった。いちおう、俺にとって奴は東京にいる唯一の友であるから、奴が今まで週に1、2度ほど遊びに来ていたのが来なくなってしまって少し寂しいなと思ってたところであった。(こんなこと口が裂けても奴には言えない…。)
そう、これが俺たちの数年のざっくりとした関係である。
そして、数時間前、奴がひょっこり俺のうちに現れた。
「おお、めっちゃ久しぶりやん。どないしててん今まで。」
俺が奴に問いかける。すると久しぶりに聞いた奴の口からは
「……くるっぽー」
と一言返しただけだった。
1
「お前さ、くるっぽーしか言えへんなったんか?」
「くるっぽー」
もう何時間とこいつに付き合っているが、未だ奴の口から『くるっぽー』だとか『ほー』とかしか出てこない。しかし、奴との付き合いが長いせいか、この羽賀遼太郎が何を言っているのかが少しずつわかるようになってきた気がする。
しかし、このままでは会話にならねえもんだから、こいつをとりあえず外へ連れ出すことにした。俺は普段外出すると言ったら、近所のコンビニかスーパーもしくはラーメン屋くらいしか行かないんだが、とりあえずこいつを連れ出して何かの調子に喋り出せばいいと思って外へと出た。
「腹減ったし、とりあえずラーメンでもいくか。」
「ぽーぽー」
こいつはまたラーメン食うんかという目を向けられた。しかし、今から連れて行くのは魁力屋という俺の地元では一二を争うめちゃうまラーメン屋の東京支店である。こいつもあのラーメンを食べれば、流石に「くるっぽー」以外の単語を口に出すほかないと思う。
俺たちはそこそこの距離を歩いて、そのラーメンへたどり着いた。
「醤油ラーメンふたつお願いします!」
俺たちは、鶏ガラ醤油スープに黄金の背脂がたっぷり浮かんだラーメンを喰らいついた。やっぱり、背脂大量のラーメンは美味い。だが20代半ばにさしかかった若さを失いつつある胃には重たかった。ラーメンを食べ切った俺は、自身の衰えとラーメンへの敗北を噛み締めながら、
「美味かったな。」と羽賀に話しかけた。
羽賀も、俺と同様腹一杯で苦しくなっているかと思ったが、まったくそんな様子はなく、
「くるっくるっっぽー!」
と元気よく鳴いた。
美味いラーメンを持っても「くるっぽー」以外の単語を奴の口から引き出すことはできなかった。
「まあ、お前からくるっぽー以外を引き出すまでやめんわ。」
こうして、まるでしゃっくりが止まらない人間をしゃっくりが止まるまで驚かし続けるかのごとく、俺の「くるっぽー」としか鳴かない友人を普通に話せるようになるまで感動を与え続ける生活がはじまったのである。
2
奴のことで少々わかったことがある。それは、奴は「くるっぽー」としか鳴けなくなっただけでなく、自分自身のことを鳩だと思っているということだ。なぜそれが判明したかというと、俺の家にはミラーボールがある。(以前俺がクラブミュージックにハマっていた時期にクラブに行ってみたいがそんな勇気はなく自室でクラブ気分を楽しもうと購入したものである。)そのミラーボールを奴は異常にまで怖がったのだ。威嚇のように「ぽーぽー」叫びやがるため、しょうがなく新聞紙とガムテープでそのミラーボールをぐるぐるに巻いておいた。
他にも、奴は道端で落ちていた枝を数本拾い集め、我が家の玄関先に枝で作ったお世辞にも綺麗とは言えない巣を作ったのである。鳩の巣づくりは超下手くそだとどこかで聞いたことがあったため、すぐさま奴が作ったミステリーサークルが巣であると気がついた。
そして極めつけには、奴に自分のことを鳩だと認識しているのか、と聞いたところ、首を一度前に突き出しながら「くるっぽ!」と叫んだ。
俺はこいつを鳩から人間に引き戻す計画を失敗のまま終わらせるつもりはなかった。
奴自身、きっと自分が鳩語しか話せなくなって困って俺に会いにきたんだろうと思ったからだ。俺がこいつを治してやれなくて、どうやって他のやつにできるというのだ。
次は、俺とこいつの出会った新宿の予備校へと連れていってやろうと思う。俺たちの出会いの場所は奴の中にも濃い思い出として刻まれているに違いない。俺たちは、京王線に乗り込み、各駅停車で新宿へと向かった。俺自身予備校を辞めてからは滅多に電車に乗って外出することがなかったから久しぶりに車内の座席に座り、電車の揺れを感じていた。その間、羽賀は窓を見ていた。ちょうど布田の隣駅の国領から京王線は地上を走る。羽賀は、地下から地上へと移行する列車の窓を見ながら、小さな声で「くる。」とつぶやいた。俺はそれが「くるっぽー」の短縮系なのか、「来る。」なのか判断できなかった。しかし地上になった瞬間、青空が見えた。青空が来たと感じた。
俺たちは新宿に到着した。新宿駅はまるで戦争だった。人が波のようにごった返し、行く手を常に阻まれる感覚が俺を襲った。肩と肩がふれあい、自分の呼吸が誰かの髪を撫で、誰かの呼吸が俺の髪を撫でている感覚に陥った。俺は息を止めようし、心臓の鼓動が速くなり、以前から患っていたパニック発作が出ていることを感じた。
俺は新宿駅西口付近の人気のない地下通路でしゃがみ込んだ。目的地である予備校に着く前に都会の狂騒に嫌気がさしていた。奴はというと、俺がメインロードから外れたのを察し、人の間を瞬く間に通り抜け俺のそばに立っていた。
「お前、めっちゃ都会の鳩ぽいなあ…。田舎の鳩は人来たらすぐ飛ぶけど、全然人慣れしてて人の間とかスイスイって通って行くかんじ。」
「ほーほほー」
「なんや、その満更でもない感じ。…迷惑かけたな。もう歩けるし行こか。」
「くるっぽー!」
俺たちは、予備校のある都庁方面を目指した。歩きながら、こいつはもとより鳩みたいな奴だったかもな、と考えた。ただ喋ってたのが人語だっただけでそもそもこいつの根本は鳩で、今になって人語を操るのが下手になったんかもしれんな、とか思った。
そして予備校の前についた。相変わらず、陰気な雰囲気の校舎だな、と思った。羽賀はともかく、俺は予備校を大学に合格する前に辞めた身であるからなんとも言えない感情になった。羽賀は予備校を見ても特になんの反応も示さなかった。
「ここ俺らの出会った予備校。覚えてるか?」
「ぽ〜」
羽賀は、もう帰ろうぜとでも言いたげな顔をしていた。
「そうやな、ここに俺たちなんの未練もないもんな。」
「くるぽ〜」
俺たちは予備校を後にした。そして、いつも予備校帰りに寄っていたコンビニに二人とも足が向かっていた。このコンビニで大関のワンカップとホットスナックを買ったよな。そんでお前は梅酒を飲んでたっけ。
「くるっ!」
これ買ってくれと言わんばかりに、俺に梅酒を差し出す羽賀。俺は、ワンカップと梅酒とフライドチキンを二つをレジで会計する。いつの間にか、ホットスナックが値上がりしていることを感じ、時の流れを改めて実感する。
羽賀と俺は、酒とチキンを食べながら京王線沿いを数駅歩くことにした。予備校時代、新宿から明大前あたりまでを歩き、その後京王線に乗って帰るというルーティンが存在していた。それを今日もやってみようという魂胆だ。
「そういや、お前鳩やのにチキン大丈夫なんや。」
羽賀は、ハッとした顔をしながら俺を見た。まるで豆鉄砲を食らったかのような顔を。
俺たちは、そのまま新宿から明大前を目指して甲州街道を歩き始めた。予備校時代に羽賀と歩いた日々のことを思い出していた。当時の羽賀と俺は、本当に他愛のない会話をしていた。何を話したのかも思い出せないようなそんな会話だった。しかしこの道を歩いているとふと蘇る記憶の端々があった。
「なあ、覚えてへんか?ここでお前がよう歌っとった曲。全然夏とちゃうのに甲州街道はもう夏なのさ、って歌ってたよな。今日も歌ってくれや。」
羽賀にどうにか鳩語以外を口にしてほしくて、普段歌なんて興味ないのにそう頼んだ。
しかし、羽賀は
「ほーほーぽっぽー、ほーほーぽっぽー」
とよく鳩が朝とかに鳴いてるようなリズムの良い鳴き声を披露しただけだった。
俺はその時、羽賀は歌うが好きだったなとか、そのリズム良い鳩の鳴き声は求愛の鳴き声じゃなかったっけとか、そんなどうでもいいことを思い出して、今まで千度聞いた羽賀の甲州街道はもう夏なのさがもう聞けないのかもな、と切なくなった。そして普段滅多に人前で歌ったりしないが、俺は思わず歌い出していた。
「甲州街道はもう夏、甲州街道はもう夏、甲州街道はもう夏なのさ!」
本家を一度も聞いたことがない。羽賀が歌っているこの曲しか知らない。でも俺は何度も繰り返し甲州街道はもう夏、と歌った。羽賀はどんな顔をしているのか見るのはちょっと恥ずかしかったから見てないが、なんかリズムよく「ほーほー」と合いの手を入れてくれていた。
ひとしきり歌い終わって、ワンカップを飲み干した。喉が熱くて、顔が赤くなっているのを感じた。酒が弱くなったのか、人前で歌う経験が恥ずかしかったのかどっちなのかは分からない。羽賀は良いもん聞かせてもらいましたわ、とでも言いそうな態度で「ほー!」と一声鳴き、梅酒の中に入ってる梅を取り出して食べていた。
俺たちは幡ヶ谷あたりまで歩いてきていた。夜の風を感じながら、最近見た映画の話を俺は一方的に話続けた。幡ヶ谷駅付近でコンビニに入った。俺たちは既に先ほど買った酒を飲み干していたので、俺は緑茶ハイ、羽賀は淡麗のグリーンラベルを購入した。
「お前、二杯目でビールかよ。」
「ほっほー」
「普通一杯目ビール飲むやろ、一杯目梅酒て…お前変わらんなあ。」
「くるほー」
羽賀はいつも一杯目梅酒だった。初めて予備校の連中たちと居酒屋に行った時も5、6人くらいが一杯目まずはビールで人数分頼もうとしていたのに、羽賀は俺が店員に注文しようとしているのを割り込んで「一つ梅酒ロックで!」と軽快に頼んでいた。そして決まって二杯目でビールを注文する。
変わってしまった羽賀と変わらない羽賀をより実感する。歌わない、歌えなくなった羽賀を悲しく思うと同時に、二杯目でビールを飲む羽賀で安心する。羽賀は羽賀なんだな、と。人は誰しも変化していく。羽賀が鳩へと変わってしまったように、俺も予備校にいたあの頃の俺とは違う俺になっているのだろうか。それを羽賀はどう思うだろう、変わってしまったことを嘆くのだろうか。それとも、変わってしまった俺を受け入れてくれるのだろうか。全ての理りにおいて変化しないことは、「変化し続けるということ」なのかもしれない。
ついに俺たちは明大前駅に到着した。俺は体力や筋力あらゆる活力がこの数年で衰えているのをひしひしと感じた。俺はちょっと足が痛いからどこか駅前のベンチもしくは公園を探して座りたいと思っていたので、羽賀にそれを提案した。駅前のベンチは明大前らしく飲み会終わりの大学生たちに占拠されていた。あれはおそらく明治大学の軽音サークルと見た。チャラチャラとした見た目で威圧的で、俺が一番関わりたくないような連中だ。ああゆう奴らは、自分で曲を作るわけでもないのに、売れてるような売れてないような訳のわからんバンドのコピーをして、まるで自分が作った曲であるかのように気持ちを乗せながら歌い追いコンとかいう意味不明なサークル主催のライブで涙を流すような奴らなんだ。俺が冷ややかな視線を注いでいると、羽賀はお前の考えていることはお見通しだぜ、俺も同じようなことを考えている最中さ、とでも言いたげな態度で「ほっほっほ」と鳴いた。
「お前も俺とおんなじか。」
「くるっぽー!」
馬鹿みたいにでかい声で羽賀がくるっぽーと叫んだため駅前の連中にジロジロと見られた。だが、気分がよかった。俺たちは足を休めなくても、どこまででも歩いていける気がした。
3
羽賀が鳩になって我が下宿に入り浸るようになって一週間がすぎた。俺は、羽賀を元に戻すためにどこかへ連れ出してみたりしたものの、結局羽賀が人語を喋れるようにはなっていなかった。
「なあ、お前まだ帰らんのか。これ以上居座る気なら食費とるからな。」
「くるポー!」
「生意気なやつやなあ!俺の家のカップ麺ストックがなくなったやないか。金よこせ!」
「くるくるポー!」
こんな調子でくるっぽーとしか鳴かない羽賀との会話にもだいぶ慣れてきたところだ。羽賀が帰りたくないなら俺の家にしばらくいたら良い。俺も何もやることはないのだから。
俺たちはこの一週間ほとんどの時間をWiiをして過ごした。中学生以来テレビゲームをやることもなかったが、たまたま立ち寄ったブックオフに2000円でWii本体が売っておりこれは買うしかないと思い、買ってしまった。俺たちはWiiの安いカセットを買い込み、この数日ゲームに明け暮れていたというわけだ。俺たちは一緒にテレビゲームをしたこともなかったし、俺はWiiをほとんどしたことがなかったため、かなり操作に手こずった。しかし、一日中やりこむとマリオカートにも慣れてきて俺たちは150ccでも無事首位を独占できるほど走れるようになった。俺はクッパを使っていたのだが、羽賀はなぜかピーチ姫を使っていてそれがちょっとウザかった。ちなみに羽賀は大乱闘スマッシュブラザーズにおいてもピーチ姫を常用していた。ピーチ姫のカウンター攻撃で繰り出されるキノピオがかなりウザかったし、一勝するごとにほーほーほー!と煽り立てる羽賀にむかついていた。しかし久しぶりに友達とするテレビゲームは幼い頃の記憶を思い出させた。
「ぐ〜るぽ〜!」
腹へったなあ、という具合に羽賀が鳴いた。
「そろそろ飯行くか。」
俺たちは近所にある七輪焼肉屋に行くことになった。なぜ焼肉になったかというと、羽賀と毎日のようにカップ麺を買いに行くコンビニまでの道の途中に焼肉屋があり、そこから漂う美味い香りが食欲をそそり続けていたからだ。ここ三日くらい、羽賀はそのそばを通るたびにぐるぐるぐると地鳴りのような声で鳴いていた。
焼肉屋に入店して俺たちは食べ放題のメニューを頼んだ。俺たちはとりあえず、豚トロ、豚タン、カルビ、肩ロース、鴨ロースなど王道そうなメニューを片っ端から二人前ずつ頼むことにした。数分後、肉が次から次へと運ばれてくる。あっという間に俺たちのテーブルには大量の肉たちが並べられた。俺はとりあえず豚トロという肉を七輪の上に並べ焼き始めた。
実を言うと俺は焼肉屋に数えるほどしか来たことが無く、焼肉屋に来た時は常に誰か一緒に来ている親やクラスメイトがメニューを選んでくれていたので自分で選ぶこともなかった。そのため、自身がどのくらいの量を食べられるのか、そして一人前の肉量がどのくらいなのか、どの肉がどのような見た目をしていてどんな味わいなのか、を全く知らなかった。
豚トロを口に入れた途端、肉の脂と少し固い食感、そして久々に肉を食べる多幸感が俺を包んだ。美味い。カルビや豚タンなども次々と七輪の上に並べ焼き始めた。羽賀も肉を食べながら「ぽっぽー!」と喜びの舞を踊っていた。
そして十分後、それは突如やってきた。「胃が重たい」俺はつい先日羽賀とともにラーメンを食べた時も感じた胃腸の衰えをまた感じることになった。(今回の胃の重さは、ラーメンは少し違う脂身の気持ち悪さだった。肉の脂が胃のなかで水分の上に大量に浮いているのが容易に想像のつくような、そんな重たさだった。)
ラーメンの時はケロッとしていた羽賀だが、今回は違うらしく向かいに座る羽賀をちらりと見ると羽賀はありえないくらい頬を大きく膨らませながら、もう食べれないという顔をしていた。俺たちは、まだまだ手のつけれていない大量の肉が並ぶ机を眺めながら数分の間、頭を抱えた。
箸を持ってもう一度肉へトライしたのは羽賀だった。
俺たちはこんなふうな大食いを前もやったことがあった。そのことを満腹で苦しい腹を抱えながら思い出していた。
以前やった大食いはこんな油で苦しくなるような不甲斐ない争いではなかった。俺たちは、回転寿司屋に訪れ、どちらが多くの皿を食べれるかという勝負をした。そして、買った方が会計を免除され、負けた方が全額支払いするというようなルールだった。そしてかくある結果は、二十三皿対十八皿で羽賀の圧勝であった。常々、俺たちは飯を食う量は同じくらいかと思っていたが、まさかの羽賀の方が多かった。あの日もこんなふうに十五皿目あたりで、箸を止めていたっけ。あの時も羽賀はもう一度流れるレーンに手を伸ばした。いつもこいつは、もう動けない、と二人とも感じた時に、火事場の馬鹿力で動き出すようなやつだった。(なんかかっこいいやつ風に書かれているが、ただ食い意地と負けず嫌いが過ぎるやつなのである。)
そして、俺はそんな羽賀が嫌いじゃないのである。
箸をもう一度動かした羽賀は次々と肉を口へと運んでいった。さっきまで、あんなに苦しそうにしていたのが嘘かの如く、肉を食べきってしまった。
「お前…そんな食べれたんや。大丈夫か…?」
「う、ぽ…」
今すぐ店を出ようと羽賀は合図をした。そして、俺たちは食べ放題の残時間を四十分程度残したまま、店を後にした。
七輪の熱で顔が暑くなっていたからか夜風はとても気分がよかった。このまま少し夜風を浴びていたいと思った俺たちは多摩川の河川敷まで歩くことにした。
焼肉屋のある調布付近から多摩川の河川敷まで歩くと三十分近くかかり、俺は河川敷に到着するまでの間、350mlの缶ビールを片手に歩いていた。羽賀はというと、流石に肉の気持ち悪さのせいか何も飲んでいなかった。
河川敷に着くと、街灯はほとんどなく、ただ街の光と空の星たちの光を集めた川の水面がキラキラと光っていた。そして、水の流れる音が静かに聞こえていた。俺は故郷に住んでいた時もこうして川を流れるのをただただ静かに眺めるのが好きだった。この町と俺が生まれ過ごした町は全然違うが、似ているところを無意識に探してしまう。
そしてその数十秒後、やはりというか案の定、多摩川の川に向かって、羽賀が吐いた。
静かな川のせせらぎをかき消すように、羽賀の吐瀉物がドボドボと落ちる音が俺の耳に届いた。静かな夜と羽賀のゲロは最悪のコンビネーションだった。不幸中の幸い、この暗闇の中ゲロは見えなかった。それが本当に救いだった。(後々考えると、部屋で吐かれなかっただけマシか…とも思った。)
4
羽賀が鳩になってしまってから、気づいたら一ヶ月ほど経っていた。こんなに長い時間羽賀と共に過ごすことはないんじゃないか、と思いながらも俺はこの生活に順応してきていた。
そして俺はある計画を思いついた。それは羽賀を逆に自然に返してしまおうという計画である。羽賀を荒療治するためにはやはりどこかに連れ出すのが一番だと思っていた俺は、どこに連れて行くのがいいだろうかと悩んでいた。新宿やそっち側の街の方は俺が正直しんどくなるからあまり行きたくなかった。ので、京王線の路線図をぼんやり眺めていた時、「高尾」の文字に気づいたというわけだ。
高尾山といったら初心者でも登りやすい山ランキング堂々の一位ではないか。俺は山登りなんて小学生の頃に大文字山に登ったきり、やっていなかったが、登りやすい山ならたまにの運動にちょうどいいし、何より羽賀が超自然に触れることで、鳩である意識を逆に感じなくなるかもしれないと思った。(今思うと謎理論である。)
羽賀に近々高尾山に登りたいと伝えると、特に嫌がる様子もなく承諾してくれた。なんなら明日行っても良いとジェスチャーで答えてくれた。
羽賀も高尾山には初めて登るのだろうか。もしかすると東京の西側育ちの人たちは小学校の遠足とかで高尾山とか登るんだろうか、なんてことを考えながら明日の高尾山に向けてちょっとだけドキドキするような遠足前日の小学生みたいなマインドで眠りについた。
俺たちは特に早起きなどすることもなく、昼過ぎに家を出て高尾山に向かった。天気は快晴とまではいかないが、ぼちぼちよかった。布田から高尾までは大体四十分程度で着いた。やはり京王線で一本で行けるのは最高だと感じる。
駅を降りると、山々が見え、もうすでに自然を感じる景色だった。最近ここまで自然豊かなところに来ることはなかったため、だいぶ田舎に来たな、という感覚があった。駅前にはスタンプラリーのチラシが置いてあり、高尾山を登山中に各所にスタンプできる箇所があるらしいということがわかった。俺たちはせっかくなのでスタンプラリーに参加することにし、どのルートで登るかを軽く決めた。(高尾山は6号路あり、それぞれのルートによって登りやすさが違う。)
高尾山にはリフトとケーブルカーがあり、山麓駅から、山の中腹あたりの山上駅まではそれに乗り、その後登山するのがベターなようなので俺たちはリフトを乗る場所を目指した。リフト乗り場に行くまでにお土産屋さんやちょっとした甘味処などがあり、観光地っぽい雰囲気で賑わっていた。俺は甘味処で酒饅頭を購入し歩きながら食べた。
リフトは二人乗りで俺たちは横並びでリフトに乗った。足がぶらぶらの状態で、特に安全ベルトとかもないと、ちょっと怖いような気がした。俺はスキーに行ったことはないが、スキー場にもこんなやつがあるのだろうな、っと思った。羽賀は周りをキョロキョロしながら、なんだか楽しそうだった。しばらくすると、あたりは背の高い木々が聳え立ち、The山だな、という雰囲気になってきた。ほとんどの木が十メートル以上ありそうだな、と感じた。今までの人生で、こんなに真っ直ぐな巨木が数百本と立ち並んでいるのは見たことがなかったため、とてつもなく胸が踊らされた。なんだか、こんなに自然に圧倒されるとは思っていなかったから、高尾山の自然の力で奴は今にも本当の鳩になるんじゃないか、とちょっと考えてしまう。リフトが山上駅に到着し降りた。すごく長い間リフトに乗っていた気がしていたが、おそらく実際は十分ほどだった。降りたすぐそばに展望スペースがあり、景色を見下ろした。そこの時点で標高462mほどあるらしく、そこから見た町々は米粒ぐらいのサイズに見えた。(高尾山の山頂の標高は599m)
俺たちは一号路をまず登り始めた。登ると言っても、全く負荷などなく、歩いているという感覚に近い。登山道には猿園があったり、タコ杉というタコのような見た目の大きな杉の木があった。
そして、途中で四号路に入った。四号路には吊り橋があるとマップに書いてあったため、せっかくなら吊り橋渡ってみようかという話になった。四号路は先ほど歩いていた一号路とは違い、かなり険しい道並みだった。道幅はかなり狭く、人が一人歩いてちょうど良いくらいで、二人で横並びで歩くことは難しかった。しかも左側は山壁だったが右側は落ちたらもう戻って来れないだろうな、と思えるほどの谷だった。柵などもなかったため、右には落ちないように細心の注意を払いながら歩く必要があった。
羽賀が前を歩き、俺は羽賀の後ろに付いて歩いた。羽賀は、険しい道並みにビビってしまったらしく、かなりゆっくり歩いていた。
「お前、人間に戻ってきてんぞ!鳩やったらもっと身軽なんちゃうんか!」
と俺が煽ると、羽賀は特に何も言うこともなく、振り返りもせずただ慎重に歩いていった。そして、その危険な山道を抜け、吊り橋に着いた時にムッとした顔で「ほー!」と俺にチョップをした。
さっきの山道は羽賀があまりにもビビっているのが伝わってきたから、俺は羽賀を煽るような態度しか取れなかったが、俺も実は相当ビビっていた。対して、吊り橋は意外にも揺れなど一切なく安定感があり、何より両側に柵兼手すりがあったため、まったく怖くなかった。
吊り橋の方がさっきの道より怖くないな、と言いながら俺たちは渡りきって、そのまま歩き続けた。
山頂に到着したのは、登山道に入ってから一時間半ほど経ったごろだった。羽賀は風を感じるように手を広げていた。山頂からの景色は海の波のように山々が聳え立ち、なかなかに圧巻であった。そして、意外にも山頂にはキジバトと思しき鳥が歩いていた。
「そういや、お前って土鳩かキジバトかどっちなん?」
と羽賀に聞くと、ポー!と言いながらキジバトの方を指差した。
羽賀の声に驚いたのかキジバトは勢いよくパタタと飛び立った。俺は今の今まで羽賀がなりきっている鳩は土鳩だと思っていたから意外だった。
「逃げられてるやん。絶対人間って思われてるぞ、あの鳩には。」
俺はこの時こんな風に羽賀に言っていたが、内心ではあの鳩のようにパタタと飛んで羽賀がどこかへ行ってしまうようなそんな気がしたのだ。
5
俺たちの共同生活もかれこれ何ヶ月と続いているような気がした。なかなか羽賀が出て行く気配もないし、俺の方ももう慣れてしまって出ていけだの、食費払えだの、言うこともかなり少なくなっていた。俺たちは相変わらず、Wiiでマリオカートをしたり、ラーメン屋に行ったり、河川敷を散歩したり、映画を家で鑑賞したり、酒を飲んだり、ニートらしい生活を満喫していた。俺はこんな変わり映えしない生活も悪くないと思いながら過ごしていた。
羽賀も羽賀で変わらず、ずっと鳩の真似をし続けている。羽賀はずっとこのままなのだろうか、と思うこともあるが、意思疎通は意外とできてるし鳩だとしても羽賀がそばにいてくれることが楽しかった。もしかすると羽賀は俺が予備校をやめて自堕落な生活を送り続けていることを懸念してやってきたんじゃないか、と思うこともあったが俺を正そうとすることもなく羽賀も同じく自堕落な生活へまっしぐらなところを見るとこいつは何がしたいのか本当にわからない。あえて言うなら寂しい俺を救いにきた、そんな目的があるのかもな、なんて考えてしまう。
そういえば羽賀はずっと優しかった。あいつは俺が遊びに誘っても絶対に断らないし、朝まで付き合ってくれる。俺がそろそろ解散しようと言うまで絶対羽賀から帰るという言葉を聞いたことがなかった。それは俺に対してもそうだし、他のやつに対してもそうだった。きっと、羽賀が通っていた大学にいる相容れない”意識高い系”に対してもそうなのだろうと思う。
そんな優しい羽賀が俺の前では悪態をつき、映画の感想ひとつで大揉めするような仲でいられる、羽賀の人生のポジションに俺が座っていることが嬉しいと思う。また、こんなふうに鳩みたいな喋り方しか出来なくなった奴ではあるが何時間だって飽きずに共に過ごせている。俺にとって、こんな人間に人生の中で出会えたことが奇跡に近いと思う。
俺は羽賀にそのようなことそ伝えてみた。こんなド直球な告白↑ではなく、俺らしく俺なりの精一杯の言葉を。(多少の悪態と笑いも混ぜながら。)
羽賀がその時初めて、へへへと笑った。声には出していなかったかもしれない。ただ今までの鳩の鳴き声じゃない、ただの羽賀の言葉だった。
そうして、俺たちはなんとなく散歩に出かけた。いつも通りの河川敷に向かう道、ただひたすら川をめざして歩いた。すっかり、日が伸びて夕方にしてはだいぶ明るく、歩きやすい気候だった。
河川敷の近くまできた時、一匹の鳩がトコトコと青になった横断歩道を渡っていた。
「鳩のくせに信号守ってるんやな。おもろいなぁ。」
「くるっぽ〜!」
羽賀と変な鳩だなあ、と言いながらその鳩の後をつけてみることにした。鳩はずっと飛ぼうとせずトコトコと歩いている。そして、一つ小さなコンクリートビルの中へと入っていった。俺たちもそのビルの中に入った。誰かが住んでたり、会社が入っているような雰囲気もなく、おそらく最近廃ビルになったのかな、というかんじだった。鳩はどんどん階段を上がっていく。上へ上へと俺たちはその鳩に誘導されながらビルの屋上へとたどり着いた。
「なんかやばいとこまで来てしもた感ある…なあ…?」
俺は少しばかりびびっていた。羽賀は全く動じていなかった。
ビルの屋上は殺風景で何もなかった。ただ、そこからも見晴らしはとてもよく、高尾山で見たあの景色を思い出させるようなそんな爽快感があった。波のような山々があった高尾山とは違い、数々の住居と多摩川が悠々と流れていた。
そして、あの奇妙な鳩が屋上から飛び立った。俺は「あっ」と声をあげ、その鳩に手を伸ばそうとした。翼は青い空へ高く高く登っていく。
その数秒後、羽賀は奇妙奇天烈な声と共に空に発った。
羽賀が飛び落ちてしまう!手を掴まなければ!俺は手を伸ばそうとする。だが、飛んだのは俺だったかもしれない。
俺は地面に叩きつけられた。飛んだのは本当に俺だった。俺たちは一体何階まで上ってきたのだろうか、意外とこのビル高さがないのか、俺はこのまま死ぬのだろうか、そんな思考と走馬灯のような感覚が駆け巡る。
俺は地面に横たわりながら空を見上げていた。叩きつけられたのは俺だけだった。空には鳩が二羽飛んでいた。
横たわる俺を羽賀は空から見下ろしていたんだ。そしてあの日あの山で見た米粒くらいの町々のように小さくなった俺を。
羽賀は鳩の友人と共に空へと消えていった。
川の近くだからか随分と強い風が吹いていて、今日はなんだか遠くまで飛べそうだな、と思った。
確かに飛んだ羽賀に俺の手は触れたのだろうか。
それだけが思い出せない。
思い出せないと言うことはきっと触れていないのだろう。